【定価26,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 販売済み ループタイ

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商品情報

商品をご覧いただきありがとうございます。わたくしどものお店の創業は明治14年(1881年)でございます。創業から数えて139年になります。当店は長崎市浜町で鼈甲製品の専門店として営業させて頂いてまいりました。2001年に4代目店主であるわたくしが過労で倒れ意識が戻ったときには腎臓が壊れてしまっていて人工透析を導入されていましたので気力・体力の充実を図れなくなった自分にはお店の維持は無理であると判断して鼈甲の専門店を閉店致しました。クレジットカード会社.日本ダイナースクラブ勤務で退職後に東京から軽井沢へ移住した友人から”天井のないホスピタル”といわれている信州浅間高原の小さな田舎町での転地療養を勧められ2002年に長野県北佐久郡軽井沢町に転居体調の好転に伴い 夏の間だけ避暑地軽井沢の老舗ホテルで“Nagasaki Presents.長崎からの贈り物”というコンセプトで小さな展示会をさせて頂いてまいりました。しかし年齢とともに会場の設営や撤去が体力的に厳しくなってまいりましたので2006年をもってお客様への対面販売を終了致しました。
1994年にワシントン条約で鼈甲の原材料である玳瑁(タイマイ)亀の輸入が禁止されてしまいました。玳瑁はすべて赤道直下の国々からの輸入品です。そのため鼈甲職人が備蓄しております玳瑁を使いきってしまったところでそう遠くない将来 鼈甲は日本国内の店頭から姿を消してしまう希少価値のある逸品です。わたくしごとですがわたくしどもには子供がいませんので 当店はわたくしの代で鼈甲販売を終了致します。4代続いた川口鼈甲店としての終焉を迎えるにあたりこのままわたくしが商品を保管し続けておしまいにすることは良くないのではないかと思うようになりました。それで手元にございます商品をわたくしどもが考えております製造原価プラスαという価格設定で!ショッピングや楽天市場で販売させて頂くことではなくて鼈甲のアクセサリーを末永くご愛用していただける方々がご納得して頂けるお値段でお買い上げくださることが良いのではないかという主旨で安価なお値段で!オークションに出品させて頂くことに致しました。
1969年(昭和44年) 長崎国体御出席のためご来県される昭和天皇の当店へのお立ち寄りというお話を大正時代から宮内省各宮家へのお出入りを許されていたという繋がりで 宮内庁から長崎県庁を経由して直々にいただいたとき祖父は悩み抜いた末に「陛下を長崎浜町商店街のなかにお招きするということは 警備のためにアーケード街一帯を一日閉鎖することになる。 そうなると商店街の店々に多大な迷惑をかけてしまう。 百貨店2軒を含めて150店すべてのお店の一日の売上を迷惑料として保証する余力はない」という理由で辞退したのだそうです。そういう経緯がございましたので 昭和天皇は江崎べっ甲店へお立ち寄りになられました。その代わりに長崎県庁の応接室で陛下にご覧いただくための置物 「鯛の菓子入れ」 をおつくりしました。この事実は祖父が同業者のなかでいちばん親交の深かった垣立忠雄氏から祖父の忌明け法要の酒席で伺いました。「当時 君のおじいさんは お酒の席で寂しそうな顔をして 『ほんとうは陛下にいらしていただきたかった。  でも 自分の名誉と周りの人達への迷惑を天秤にかけたとき どうしてもできなかった。  苦渋の決断だった … 』   と呟いていた。 いまの若い人たちにはわからないと思うけど 僕や君のおじいさんが若い頃は 家の仏壇や神棚に天皇陛下の御写真が飾ってあって その御写真に向かって毎朝礼拝していた。 天皇陛下は神様だった」後日 祖父は皇居で昭和天皇とご拝謁 数分間お話をさせていただくという名誉を賜わりました。会話の最後に「健康で永く生きて 素晴らしい鼈甲をつくり 後世に遺してくれることを 朕は希望します。お元気で … 」という御言葉を賜わったそうです。祖父は無口で一日じゅううほとんど口を利かない人でしたが晩酌のときには別人のように饒舌になり 多種多彩な話題について広く深く語っていました。しかしこの一連の出来事をわたくしには一言も口にしませんでした。後日)祖母から「陛下とのお約束があるから元気にならなければ。 陛下より若い自分が陛下よりさきに逝くわけにはいかない」と亡くなる前日まで自分を奮い立たせるように小さな声で言っていたことを聞かされました。商品をおつくりするとき一切の妥協を許さない という他を寄せ付けない厳しい眼光の奥には陛下との御約束を守らなければいけないという信念があったのだろうと思います。
劣勢な状況下で最後尾の箇所を担う大役を 殿 (しんがり) といいます。わたくしに務まることではないということを踏まえつつ一人でも多くの方々に接着剤ではなくて水と熱と圧力を駆使しておつくりした鼈甲に触れていただきたいという思いで商品をご紹介させていただいております。

営業許可免許特定国際種事業者(象牙・タイマイ類等販売免許) 事業者番号 B-196 
川口鼈甲店ホームページ   http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/index.html出品商品archives      https://www.instagram.com/kawaguchi.bekkou/?hl=jaYou Tube   https://www.youtube.com/channel/UC56UuculrUJfksXl-6fhPyA/videos


本べっ甲製 ループタイ 縦 約4.1センチ(最大部)  横 約3.3センチ(最大部)    厚さ 約3.5ミリ(最厚部) 金具 銀メッキ紐   正絹 (金具 金メッキ)水色 ベージュ 紺色 茶色 臙脂色 (お好みの色をご指定ください)


今回の出品はループタイでございます。ループタイは男性のネクタイピンやタイタック女性のペンダントと同じようにお姿の中心におつけする装飾品ですのでさりげないデザインでも見映えがいたします。今回は基本形の角型に少しだけ変化をお付けしています。そして角に丸みを付け下の部分を細めにいたしました。スタイリッシュなデザインの商品に仕上げています。全体にカーブを入れていますのでおつけいただきましたときに襟元にきれいにそって浮き上がることはございません。何層も甲羅を重ねて夕焼け空に浮かぶ雲のような模様を描き出しています。いちばん外側にある強い印象の濃い茶色の模様の内側に薄い茶色の模様の生地を入れることで遠近感や奥行きを表現しています。スポーティなお召し物にも落ち着いた雰囲気のお召し物にもお似合いになられるかと存じます。

この商品はヤマト運輸のVIP扱いで発送させていただきます。


【ほかのべっ甲店の商品との違い】 べっ甲は玳瑁(たいまい)という亀の甲羅です。玳瑁甲は 黒い甲羅とあめ色の甲羅を重ねますと全部が黒い甲羅の色をした板になってしまうという特殊な性質があります。あめ色は黒に溶けて存在がなくなります。また甲羅はさほど厚みがありませんので1枚1枚は薄いものになります。ほぼすべての鼈甲のアクセサリーは甲羅を何枚も重ね合わせながら水と熱と圧力を駆使して厚い板をつくりその板に細工を施して仕上げていきます。きれいな模様がはいった甲羅のべっ甲柄を浮き上がらせるためにはあめ色の原材料を何枚も重ねていくことで厚さを調整していかなければいけません。黒い甲羅を重ねますとべっ甲柄の模様は黒に打ち消されて黒一色になってしまいます。きれいなべっ甲柄を活かすためには あめ色の高額な商品をおつくりするときに使用いたします甲羅を何枚も重ねていきます。あめ色がたくさん混じっているべっ甲柄の商品のお値段が高いのはあめ色の高級な原材料をたくさん使っているからです。 オークションで落札してくださったお客様から「どうしてなのかわからないのだけれど  川口さんからいただいた商品はほかのお店のものとは何かが違う  きれい というか 輝いている というか  なにか違う」というメッセージをいくつもいただいています。わたくしが長崎で鼈甲の専門店をいたしておりました頃 1980年代ののお話です。個人的に親しくしておりました 腹を割って 包み隠さず本心をさらけ出せるわたくしよりもひとまわり年上のべっ甲店 「トータスジュエリー甲」 の店主 故中村啓介氏とお酒をご一緒した際何度となく言われていたことがあります。「川口さんの商品は カリブ海のきれいな上等のあめ色の原材料を惜しげもなく何枚も使って商品をつくっている だから同業者のわたしが見ても惚れ惚れするほどきれいなものばかり並んでいる。」江戸時代に記された 玳瑁亀図説 にも 「 甲を以て貨(しろもの) に作るは・・・肉中に入る生地は最上を撰び用ふ。 ・・・若し中へ次なる生地入る時は仕上がりて 甚だ見苦しきなり 」とあります。 わたくしどもの商品がほかより何かしらきれいに見えるのは「きれいな原材料を使わないときれいな商品はできない」という祖父の信念をそのまま継承してきたからでございます。そのむかし 祖父から事あるごとに厳しく叱られていたことがあります。「口数が多い男はそれだけでダメだ。必要最小限のこと以外はいっさい口にするな」永六輔氏からも同じように叱られたことがありました。「渥美清さんがよく口にしていた言葉 『それを言っちゃおしまいだよ』 は 秘すれば花  秘めるからこそ花になる。 口に出して話してしまうとその価値は失せてしまう ということ ほんとうに大切なこと 伝えたいことは敢えて口にしない 言葉にして言わなくても相手にきちんと伝わるように 人知れず努力する それが一流の芸というもの」祖父や永さんが生きていたらすごい形相で睨みつけられて叱られると思います。それでも 敢えて 文字にいたしました。わたくしどもが出品いたしております商品のなかにも「この1点でおしまいでございます」という言葉を添えることが多くなってまいりました。 『それを言っちゃおしまいだよ』 という理由で商品紹介へ記載するのを控えてきましたが「この商品をお買い求めいただきますと あと1点でおしまいでございます」「このデザインの商品で これだけのきれいな模様がはいっている商品はこの1点でおしまいでございます」という出品が大半を占めるようになってまいりました。わたくしどものお店も含めて まもなくべっ甲文化はほんとうの終焉を迎えます。灯が消えてしまってからですと お伝えする術はありません。 オークションに出品いたしております商品は1990年代におつくりしたものでございます。その当時のショーケースウインドウディスプレイを動画でご紹介しています。商品が店頭に並んでいたときの空気感が垣間見れるかと思います。https://www.youtube.com/watch?v=igb_TyJk4b0機会がございましたらほかのべっ甲専門店や百貨店の催事などで並んでいる黒っぽいだけの厚みのない薄っぺらな商品とあめ色がきれいに混じっているわたくしどものお店の分厚い立体感のある商品の違い表には見えない細部にまできれいなあめ色の原材料を使っておつくりしたものとの質感の違い実際にご覧いただいてたしかめていただければ幸いかと存じます。


【落札者様とのメッセージ交換のご紹介】 以下の商品を落札してくださったお客様とのメッセージのやりとりを商品説明欄に転載させていただく旨をお客様にご了承いただきましたので紹介させていただきます。【定価38,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 かんざし https://www.instagram.com/p/CNP4Wq4HZKS/?utm_source=ig_web_copy_link
初めまして、落札者です。 川口鼈甲店様の商品をヤフオクでずっと前から拝見していて、素敵だなと思っていました。 当方30歳手前ですので貴方様の客人としては若い方でしょうか。 日本の女ならば己の黒髪に鼈甲の一つくらい挿してみたいと思っておりいつか手に入れたいと思っておりましたが、これからは国内に残ったタイマイが無くなっていくばかりという話を耳にしてから、購入するときに満足のいくものが手に入るのは今が最後かもしれないと思い色々と探しておりました。  本当は晴れの日につけるような派手なものが好みで派手なものばかりが素晴らしいと思い込んでいたのですが、今回のオークションの説明文を拝読して考えを改めました。 ご祖父様の「べっ甲は オーソドックスで単純なデザイン 一見 簡単そうに見えるもののほうが実際につくるのは難しい。 左右対称に見えるようにつくれる職人は少ない。」というお言葉はまさにその通りだと考えさせられました。 褻の日に使える上等なものを纏うことこそ最高の贅沢なのかもしれないと思います。 そのような贅沢を味わえるのは今回のオークションでのご縁あってこそですので、とてもありがたく思っております。  
この度はご落札いただきましてありがとうございました。 中略 このかんざしは和装洋装どちらでもお使いいただけるものでございます。 お気に召していただければ幸いでございます。 2016年の4月末からヤフーオークションで週に1~2点 出品させていただいてまいりました。 30歳代半ばの方のご落札は何回かございましたが 20歳代のお客様は初めてでございます。 長崎でお店をいたしておりました頃は 旅情に誘われて若い方にもいらしていただいていましたが オークションで入札していただけるとは思っていませんでした。 メインのお客様は40歳代以降のオバサマ方です。 60歳代半ばぐらいまでです。 「若い人がべっ甲に興味を持ってくださることはないだろう  そうなるとべっ甲に携われるのはあと10年が限界だろう」 と思っていたさなかでしたのでほんとうにびっくりいたしました。 商品紹介に記載いたしておりますように わたくしの身体(腎臓)が壊れてしまったことでやむなく閉店いたしましたので 1990年代後半のべっ甲業者が勢いを失う前の商品群が タイムカプセルで保管されたようなかたちで手つかずでわたくしの手元に残っています。 しかし 現在 べっ甲の原材料はほとんどありません。 未来のない業種業態で人が真剣にお仕事をしていく より良いものをつくっていく 現実には出来ない相談 無理です。 レベルが下がるのは当然です。 勝手な独り言です。 良い細工のべっ甲製品を手に入れる方法は2つあります。 そのひとつは骨董品店で探すことです。 古き良き時代の優れた職人の仕事がそこここにあります。 ただし品です。 特に櫛笄は 使っていた人の髪の皮脂が付着してベタベタして脂臭い匂いがついています。 どんなに拭いてもとれません。 表面を削って磨き直しをすることで皮脂は取り除けますが 形が崩れてしまいます。 細工を入れ直して形を整える力量のある職人は現存しません。 腕の悪い職人が磨き直しをいたしますと 目が当てられないものになってしまいます。 もう一つの方法は わたくしどものオークションをずっと見ていただくこと です。 まだまだ色々なバリエーションの商品がございます。 いまのペースで販売をしていくとき わたくしが彼岸へ旅立ったあとにも商品はたくさん残る計算になります。 あなた様の後ろに べっ甲を好いてくださる若い女性のお客様がたくさんいらっしゃる と信じて 20年ぐらいは細く長くべっ甲を販売していこうと 先日頂いたメッセージを拝読して 強く感じました。 勇気づけられました。 感謝しています。  
本日かんざしを受け取りました。とても丁寧に梱包して発送していただき、まことにありがとうございます。 子供に戻ったような心地でわくわくしながら開けました。 手に取って拝見いたしますとあまりに左右対称なので、これが人の手で圧着されて作られていることを忘れてしまうほどでした。 接着剤を使用しないでくっついているというのが不思議です。 梱包を開けた時に初めてべっ甲を触りましたのでべっ甲が少しひんやりしているという事を初めて知りました。 上白の部分と黒のコントラストが美しくてうっとりいたしました。 やはりあめ色の鼈甲は黒髪にあいそうだなと思いましたので、今からこの簪を付けてお出かけするのが楽しみです。 もうすぐ三十路の当方ですが、二十歳代の落札が初めてと聞いて驚きました。 でも確かに、鼈甲の簪と言うと旅行先の資料館に展示されていたりドラマに出てきたりするもの、という印象があり、遠い存在だと思っている若い人が多いのかもしれません。 あるいは本物の鼈甲を見たことが無く、プラスチックのものしか見たことが無いので鼈甲の美しさを知らない人が多いのかもしれません。 ですが鼈甲に興味がある若い人はこれからも居なくならないのではないかと私は思っております。 「和装が好き」という私と同じくらいの年齢の友人もおりますし、旅行先で着物を着て歩く若い女の子を見かけることもここ数年で増えてまいりました。 そういった子達の中には私のように鼈甲の装飾品を手に入れてみたいと思っている人が必ず居ると思います。 もしくは、今はただ若くてお金がないだけで手に入れたいという夢を持っているひとが居るはずです。 ですから、川口様がこれからも長く鼈甲が隆盛を誇っていたころの装飾品を販売して下さるのは本当にありがたいことだと思います。 近い将来本来なら手に入れられなくなるはずの上質で新品の鼈甲のお品を、当時生まれていなかった人でも手に入れられる幸運を将来の若い人たちに伝えて下されば幸いです。 私もまた川口鼈甲店様のオークションを拝見させていただきたいです。 若輩者が釈迦に説法のように語ってしまって申し訳ありません。 今回は素敵な簪をありがとうございました。 このような時期でございますから、どうぞお体ご自愛くださいませ。  
商品到着から20日あまりあと ゴールデンウイーク明けの午後  着物姿でこのかんざしを髪に挿した後ろ姿のお写真が郵送で贈られてきました。 そのお写真を拝見してびっくりいたしました。 わたくしの手元にありましたときとはまったく違う別の趣がありました。 このかんざしを出品いたしますとき 人生をそれなりに長く生きてこられた方にお使いいただくことを想像していました。 そういう方々を美しく演出してくれるかんざし そう思っていました。 しかし 実際は違うものになっていました。 老舗ブランドの着物ではなくて昨今の流行であるデザイナーブランドの着物 そしてかんざしがうまく似合っていました。 貴金属のアクセサリーは 身につける人を引き上げて輝かせてくれます。 鼈甲は 身につける方にそっと寄り添って その方の醸し出す空気に染まる というかんじがいたします。 鼈甲は 最初 思いの外ひんやりとした冷たい手触り感があります、 しかし  特に櫛笄は 身につけているうちにその人の体温で温かくなります。 温かいぬくもりのような感触です。 20歳代の女性が身につけるとき 20歳代の方に合う趣が出てきます。 30歳代 40歳代 50歳代 60歳代 70歳代 80歳代 このかんざしは時を越えて このお客様に寄り添い馴染んでいって その方の年齢に合った美しさを演出してくれるもの そう確信いたしました。     
【決意表明・経営理念】原始的な工具を使って手作業で物を作っていたさなか 1750年代にはいり イギリスで物を作るための機械が発明されたことで一気に生産性が上がりました。第一次産業革命です。そして大英帝国が力をつけて世界の覇権を握りました。1870年代 蒸気機関とガソリンを使ったエンジンが発明されたことで更に生産性が上がりました。第二次産業革命です。そして資本主義という考え方が生まれました。世界の覇権を巡って世界大戦がはじまりました。効率よく物を作れるようになり便利な時代になった代償として戦争でたくさんの命が散っていく悲しい時代になりました。1990年代 インターネットの普及により情報通信における伝達手段が進化しました。仕事のあり方が大きく変わりました。第三次産業革命です。世界が一つにつながったことで 国家という垣根を超えて企業が大きく成長しました。Amazonや楽天 などの実店舗が存在しないのに物が売れて大きなお金が動くそういうビジネスが生まれました。第二次産業革命のときのように国家の覇権のために命をかけて戦争をするという価値観はなくなりつつあります。産業革命が起こると社会の構造は大きく変わります。わたくしが体を壊したことで実店舗を完全に閉店したのは2001年の春でした。べっ甲屋のなかでいちばん最初に力尽きたのが川口鼈甲店でした。第三次産業革命の真っ只中でした。それから15年の歳月が流れました。インターネットによる第三次産業革命は完全に定着していました。ヤフーオークションに出品して商品を買って頂く1990年代には誰も考えていなかったビジネスモデルに挑戦しました。しかし べっ甲製品の出品にはほとんど入札がないいわば蚊帳の外やって駄目だったこととやらなかったこと  結果は同じ半ば諦めつつ出品いたしました。そしてオークションのみでの販売が定着しました。2020年8月1日 22時38分 わたくしどものオークションサイトでべっ甲のアクセサリーをいくつもご落札していただいている方からメッセージを頂きました。「こう言っては申し訳ないですが 川口鼈甲店が今も長崎にあったのならば残念ながら私はその存在を知らず今ほど鼈甲の良さも知らずにいたことでしょう。ヤフオクで偶然にも商品の紹介を拝見し最初は品物よりいろいろ書いてある文章が気になり文章を拝読してから品物の画像を見ると他とは違うと思い始めました。それまで鼈甲はペンダント1点しか持っておらずそれでも川口さんが紹介されるものは違う 鼈甲の質もデザインも。川口さんは不本意だったかもしれませんがヤフオクに出して頂いたおかげで私は出会え、感謝です」わたくしが長崎で腎臓が壊れるところまで七転八倒した日々はオークションで認めていただくための布石ではなかったはずなのに・・・という忸怩たる思いがずっとありました。このメッセージを頂いたことで流れる水に文字を描くような 虚しいだけの日々が報われたような気がいたしました。内閣府のホームページに「第四次産業革命がはじまっている」という告知があります。第四次産業革命とはすべての分野で指数関数的な倍×倍×倍 というスピードで技術が進歩していく自動運転.空間に画像を表示する仮想世界.3Dプリンターで人工的に臓器を作り出す など2030年頃にはそれが定着するのだそうです。2020年7月27日 NHK総合テレビ 午後7時半から42分間のトークバラエティ番組「夏だ!てれファミリー コロナ禍のリモート帰省」 のなかで報じられましたのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが 日本でいちばん歴史と伝統がある専門店であると謳いながら観光バスや観光タクシーと癒着することのみの商法で記念品の土産物に特化して生き延びてきた長崎の江崎べっ甲店が売上不振で立ち行かなくなり閉店しました。川口鼈甲店 実店舗としての実体はありませんが インターネットによる第三次産業革命の波に乗ってこうして皆様に商品をお買い求めいただいています。こういうかたちではありますが 暖簾はまだ生きている と仮定いたしますとき 1881年 創業者川口栄蔵が8歳で坂田べっ甲店へ弟子入りした年を川口鼈甲店の創業の年1896年 長崎市鍛冶屋町にお店の看板を掲げた年を開店の年と位置づけることができます。江戸時代から続いているべっ甲職人を除いて お店という形態が発足した日から数えていくときわたくしどもは日本でいちばん古い暖簾ということになります。第四次産業革命は 街のあり方 お店のあり方を大きく変えていきます。日本の地方都市から百貨店の灯が消えはじめました。日々進化の手を緩めることのないAmazonの攻勢でニューヨ-クの老舗百貨店も苦戦を強いられたり 廃業したリというのが現状です。わたくしどもの手元には原材料が潤沢にあった頃におつくりした商品がたくさんございます。しかし 第一次産業革命以前の手仕事による技術がいつまで皆様に評価していただけるのか 想像がつきません。腎臓が壊れてしまったわたくしがいつまで出品に携わることができるのかこれもまた神のみぞ知る領域です。川口鼈甲店が完全閉店する日は必ず訪れます。その日 その瞬間まで送料込みで100円スタート 発送はヤマト運輸のVIP扱い または 定形外郵便お客様が納得のいくお値段で購入していただくという形態での販売を続けさせて頂く所存でございます。川口鼈甲店年表http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/99_blank129.html


【出品商品の品質についてのお知らせ】2020年12月6日に出品致しました菓子切りについて 7*2*0***様から以下のご質問を頂きました。「こちらで最後の出品ですか?それともまだ他の物も出される予定でしょうか?」
7*2*0***様に回答をお送りしました。このことはオークションに参加して下さるすべての方々へご報告するべきことであると思いましたので転載させて頂きます。「最後から2番目です。 あと 2本 手元にございます。 最期の出品は ずっと先になると思います。  余談です。 他のお店で販売している菓子切りと同じものが 仕入れ品としてわたくしの手元にございます。  百聞は一見にしかずと申します。 長崎でお店を致しておりました頃  お客様にわたくしどものお店でおつくりした商品の良さをわかっていただくため あえて 他の土産品店のような下品なべっ甲店に並んでいる商品と同じものを仕入れて 店頭にそっと並べていました。 オークション出品に際しまして 同業他店のみやげ品店レベルのおもちゃのようなものはすべて除外しています。  商品を手にとって見ることなく 写真だけで良し悪しを判断して入札していただいていることへの礼儀 と心得ていました。 そういった商品は最終的にはすべて廃棄処分するつもりです。 ほかではお求めいただけない 自信を持ってご紹介できる商品がなくなりました時点で 川口鼈甲店・完全閉店 でございます。

【べっ甲・その美 ビデオ動画のご案内】日本べっ甲協会という非営利団体である一般社団法人があります。長崎 大阪 東京のべっ甲組合すべてが属する連合会です。わたくしの祖父は長崎玳瑁琥珀貿易事業協同組合の初代組合長でした。1988年 わたくしは 独自路線でやっていくため祖父が発起人となって設立した組合を脱会しました。1993年 べっ甲の原材料である玳瑁亀の輸入禁止に伴う国の助成を受けて 日本べっ甲協会がべっ甲細工を紹介する32分あまりのビデオを制作しました。わたくしども 川口鼈甲店 を除くほぼすべてのべっ甲関係者の知識を結集してつくったものです。悲しみだけが夢をみるいつの日か 玳瑁の輸入が解禁されることへの祈りが込められたものです。わたくしどもは組合に属していませんので蚊帳の外でした。各べっ甲専門店やべっ甲職人が大切にしている美術工芸品を持ちよりビデオが制作されました。川口鼈甲店の美術工芸品は除外されています。2002年 べっ甲の資料や美術工芸品 制作工程の実演を催す長崎市べっ甲工芸館が長崎市松が枝町に開館しました。「組合員ではないから」と遠慮していたのですが「そんなこと どうでもいいから 見に来てください」というお誘いを受けました。工芸館の館内で さきに制作されたビデオが上映されていました。「長崎や東京のべっ甲組合がいくつもべっ甲を紹介するビデオをつくっているけれど このビデオは突出している 過不足なくわかりやすくべっ甲について紹介してある」と感じました。お願いしてビデオテープを分けてもらいました。ビデオ制作から27年の歳月が流れました。2003年の春以降 ビデオを再生していませんでした。ビデオテープは永く保管していると劣化して視聴できなくなります。富士フイルムのビデオテープデータ復旧デジタル化サービスにお願いして劣化しないようにデジタル化いたしました。日本べっ甲組合にある著作権を侵害しないよう 再生時間等を数字で表示するというフイルターをかけて頂いています。川口鼈甲店のホームページにデジタルデータをアップしました。You Tube 経由の処理をしていますのですべての環境で視聴していただけます。最初の10分間はべっ甲のルーツと日本伝来から現在に至るまでの過程が紹介されています。その次にべっ甲店が紹介されています。最初は明治大正期の川口鼈甲店 それから 明治大正期の二枝鼈甲店 平成期の川口鼈甲店 江崎べっ甲店 賀鼈甲店 の様子が紹介されています。11分から28分まで べっ甲の美術工芸品が紹介されています。29分から2分あまり べっ甲製品の制作過程が紹介されています。わたくしにとっては 子供の頃から慣れ親しんできた 見慣れた光景です。それでも 製造現場の映像を見ていると 胸が痛くなり 目頭が熱くなります。「べっ甲・その美」http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/productsindex2134.html

【修理のご案内】長崎市にお住まいの方から鼈甲製品の修理についてのご質問を頂きましたので質問と回答を原文のまま記載させて頂きます。 質問   長崎市民です。とても懐かしく、また閉店を残念に思っておりました。購入後に使用していく中、割れ・カケなどできた場合の修理など、どんな感じになりますか?宜しくお願い致します。(2016年10月 6日 12時 41分)  回答   ご質問ありがとうございます。回答欄は全角300文字以内という字数制限が設けられていて 300文字以内ではうまくお伝えできない内容ですので 字数制限のない商品説明の最下部に回答を追加記載させて頂きます。 わたくしは職人ではございません。長崎でお店をさせて頂いておりました頃は職人を抱えていましたので修理をさせて頂いていました。しかし現在は職人を雇用していませんので修理をする術がございません。商品の修理は造り手と同等もしくはそれ以上の腕のいい職人の手に委ねないとうまくできません。腕の良くない職人の手にかかりますとどんなにすぐれた製品であっても不格好で悲惨なものになってしまいます。幼児の工作のようなハリボテになってしまいます。鼈甲製品は二つに割れたりヒビがはいってしまっても水.卵白.熱.圧力を駆使することで接着部分がまったくわからない新品の状態まで変幻自在に復元することができます。しかし腕の良くない職人ですと接着部分が微妙にわかってしまうできあがりになります。光沢がなくなってきた商品も磨き直しをすることでご購入時と同じ状態になります。しかし腕の良くない職人ですと表面を必要以上に削ってしまい薄っぺらで小さなデザインが崩れておかしなものになります。わたくしの手元にあります商品は鼈甲業に勢いがあったときの腕のいい職人によるものばかりです。鼈甲業は原材料の輸入禁止以前に入手した材料が尽きたところでおしまいです。ほんの一握りの腕のいい職人は高齢で廃業していき息子さんにはあとを継がせていません。長崎市浜町アーケード街.浜屋百貨店そばで鼈甲の専門店をいたしておりましたころは他の鼈甲店の商品であってもすべての修理をお受けして新品と遜色ないところまでの完璧な修理をお受けしていました。わたくしの知る限り わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は日本国内には現存しないと思われます。お使い頂いた後には必ず柔らかい布で拭いていただき傷ついたりくもったりしないよう大切にお使い頂ければと切望しています。  質問者様からのお返事   ご丁寧に回答頂きありがとうございます。以前川口鼈甲さんの前を通るたび、いつか落ち着いた大人になって持ちたいな・・・と憧れていました。いざ大人になってみると、浜町の素敵なお店がどんどん閉店し、鼈甲も以前に比べ、大変貴重で、職人さんも減ってしまったようで、大切にするしかないのですね。参考にします。

【送料無料 (当店負担) 発送方法のご案内】2016年の4月から個別の販売を終了して オークションのみの販売をさせて頂いています。出品をはじめるにあたり「わたくしどもの鼈甲製品を入札してくださる方はどなたもいらっしゃらないのではないか」という不安がありました。それから2年半 169点 (2018年9月10日現在) の商品を出品させていただきました。入札に際してたくさんの方々に参加して頂きました。定価を超える金額で落札して頂けることが増えてまいりました。北海道や九州沖縄県の方には高額の送料をご負担頂いています。実店舗での定価販売を常としてまいりましたわたくしにとっては申し訳ないような複雑な思いがございます。定価を超える金額で落札してくださった方の送料と遠方の方の送料の一部をわたくしどもで負担させていただこうかと迷いました。しかし それも違うような気が致しました。それで 2018年9月11日以降に落札してくださった方の送料はすべてわたくしどもで負担させて頂くことに致しました。
    宅急便VIP扱いについて    VIP配送は配達の際 車中では専用の鍵のかかるケースに入れて管理され、    お届けの際にはお客様にフルネーム確認をしています。    また必ず社員であるSDが取扱い アルバイトや委託業者の取扱いはされていません。    お受け取りの際には必ず認印かフルネームでのサインが必要です。    (ヤマト運輸さんは個人のお客様からのVIP扱いでの発送は行っていません)


【出品商品の品質について】わたくしどもの商品は原材料に余裕があった頃にお作りしたものですので商品にボリュームがあります。それぞれの商品のデザインに合う色彩の甲羅をたくさんの原材料のなかからお選びしてお作りしたものばかりでございます。電動式万力の圧力メーターの数字を見ながら鼈甲の原材料をプレスしていくのではなくて手動式の万力を全身の力で回しながら圧をかけて数字ではなくて勘を頼りに微調整をかけていく製造効率など考えないで 納得のいくまで時間をかけて彫刻を施していく数ミリの厚さの違いやほんのわずかな鼈甲色の模様の違い労を惜しむことなく手間暇を費やしてみても遠目にはさして変わらないように見えたりもしますが商品をお付けいただいたときその商品が醸し出す存在感や立体感において似て非なるものという大きな違いがございます。鼈甲業界に余力があるときにわたくしが体調を崩したことでやむなくお店を閉じましたので当時の勢いのある商品が手付かずで手元にございます。鼈甲製品の作り手にとってゆとりがあったころに制作いたしました最期の作品を丁寧に 少しずつ そしてできるだけ永く 出品させて頂きたいという思いを新たに致しました。  2017年 秋.長崎に住む女性の友人からメールを貰いました。オークションの商品 楽しみに見ています。今回の簪も粋な感じで、女性なら誰しも憧れる逸品ですね。(元の価格が安すぎのような~もっと高くでいいのでは??)手鏡も素晴らしいです。(鼈甲の手鏡初めて見ました)川口さんの商品.贔屓目かもしれないけど他の出品とは何かが違う別格です。何気なく鼈甲屋さんにはいって商品を見回してみたけど川口さんのオークションの商品のほうがなんかきれい….前に出品していたきれいな飴色一色の銭龜さんどこにもいませんでしたよ。オークションで落札できた人は幸せだと思います。長崎で同じものを買おうとしても無いですから。

【長崎・軽井沢・川口鼈甲店】 1997年春 郷土史研究史跡探訪グループ・長崎史楽会の会員の御老人が西友長崎道ノ尾店で展示会をしていた会場へ訪ねて来られました。「長崎新聞で川口鼈甲店 が 浜町のお店を閉店したことを知った。私の先代は大正時代に船大工町の川口鼈甲店のお隣で鍛冶屋をしていた。当時長崎の商人は目の前の商いで手一杯だった。しかし川口の創業者は 長崎で繁盛しても東京で認められなければ自分が商っているものは本物とはいえない. だから東京にお店を出す…  と言っていた。当時 長崎の鼈甲は外国人が買っていた。川口はその利益をすべて東京出店に費やした。横浜市元町と東京市新橋にお店を出した。長崎と東京は汽車で30時間以上かかっていた時代のこと皇族方宮内省各宮家御用達になり.昭和天皇結納品の鼈甲化粧セットを納めた。夏季には政府高官.各国の大公使が軽井沢に避暑に行くので軽井沢に出張所を設けた。大正12年 関東大震災で東京.横浜の支店は全焼した。太平洋戦争の最中 鼈甲の原材料は輸入できなかった。昭和23年 川口の先々代は神田の旅館に宿を取り長崎県庁東京出張所所長の渡辺氏と二人 管轄官庁の門前に座り込みをして一か月通いつめることで官庁関係者が根負けして鼈甲原材料玳瑁亀の輸入再開 にこぎつけた。 川口の先々代がいなかったら 今現在 鼈甲は日本国内の店頭に並んでいない。太平洋戦争という地獄を経て鼈甲細工は消滅しなかった。あなたは自分のお店の閉店は自分のお店の歴史に過ぎないと思っている。でもそれは違う。川口鼈甲店の生き死には 鼈甲文化の生き死にそのものなんだ。あの悲惨な戦争を生き延びてきた。鼈甲の原材料の輸入禁止は日米の経済摩擦によるもの太平洋戦争とは違って経済戦争で人の命は奪われない。経済戦争なんかで負けてはいけない。 ここで終わってはいけない。このことをあなたに伝えなければ私は死んでも死にきれない。今 こういうことをあなたに伝えることはとても残酷なことだと思う。 でも ここで諦めないで頑張って欲しい 」お酒の勢いを借りてお話をしに来てくださったその御老人の言葉がわたくしの頭の中から離れることはありませんでした。
1993年 永六輔さんのラジオ番組宛に鼈甲についての思いを綴った葉書を出しました。それがきっかけで 永六輔さんと親しいお付き合いをさせていただくようになりました。年に数回お目にかかってお話をさせていただいていました。2005年3月 近況報告の手紙を書きました。ラジオ番組や講演会で永さんがわたくしのことを語ってくださいました。「長崎で 川口 といえば 鼈甲 です。 長崎の目抜き通りの真ん中に堂々としたお店を構える押しも押されもせぬ老舗です。色々なことがありました。お店はなくなりました。川口は体を壊しました。いま  川口は転地療養のため軽井沢で暮らしています。そして体調が良くなってきました。僕も若い頃 体がとても弱かったんです。信州小諸・軽井沢で疎開生活をしているときに元気になりました。だから信州での転地療法が身体にいいということはよくわかるんです。身体が弱い人が信州で暮らすとみんな元気になるということではないのですが,元気になった川口は軽井沢で鼈甲のお仕事を再開しようとしているんです。でも 今現在 お店はない。お店はないけど 何かをしようとしている。いまはまだ 鼈甲といえば 長崎 です。でも 近い将来 日本じゅうの鼈甲愛好者のなかで鼈甲といえば軽井沢 と云われるようになると思います。だって 僕の友達である川口が軽井沢で鼈甲のお仕事を再開したのだから。皆さんこのことを 頭の隅に留め置いていてください」周りの人達から言われました。第一級の文化人である永六輔からこれだけのエールを贈ってもらっていて決起しなかったら漢 (おとこ) じゃない…」そして思いました。「身体が壊れているのだから そんなことを言われても困る。 何より自分はそれほどの人間ではない」以後 永さんとの距離をあけました。それでも永さんの言葉はいつも心の奥で響いていました。 
25年以上のお付き合いのある長崎在住の女性の友人がいます。雑誌の編集 全国誌の旅行ガイドの長崎版の制作に携わっている人です。2017年12月30日 お互いの近況報告を兼ねて2時間ほどおで情報交換をしました。「長崎といえば カステラ そして 鼈甲鼈甲 といえば 長崎川口鼈甲店が長崎の街からなくなってもうすぐ20年鼈甲といえば長崎 というんだったら長崎の鼈甲屋さんには川口のオークションの商品と同等もしくはそれ以上の商品が並んでいなければおかしい。でも長崎の鼈甲屋さんの商品にはいまどき こんなもの誰が買うの…? というものしか並んでいない。長崎といえば鼈甲  鼈甲といえば長崎それは川口鼈甲店の鼈甲のことだったような気がする。オークションの川口の鼈甲製品は20年以上前のものそれなのに いま 長崎のどの鼈甲屋さんに並んでいる商品よりも新鮮な輝きがある。オークションは それなりのものをそれなりの安い値段で買うためのものでも 川口の オークションはそうじゃない。次から次に目新しい商品が出品される。大げさな言い方をすると世界の名画をオークションで落札して入手するそういう異質の空気感がある」 と言われました。

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